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「十九の春」♪ ルーツと変遷史 [音楽]

「ああ、・・・そういう事だったのか!」 

長い間、脳裏の片隅で、おぼろげに疼いていた素朴な疑問が一つ氷塊した。 

今朝、NHK(BS2)で、「十九の春」 の変遷に関する番組が放送された。 実に、胸に熱い閃光が走ったようであった。 「十九の春」には、なんと百余もの歌詞があり、それぞれに人や地域によって違った歌詞や節回しで唱いい継がれていることが判明、納得した次第。

思えば、このタイトル「十九の春」・・・、恥ずかしながら、筆者は40代の前半で、ようやく知り得た曲名でもあった。 そもそも、記憶していた歌詞と、その後、サンシヌ片手に詠唱されたヨロンの長老の歌うそれとは、まったく異なっていた。 

・・・「あれ! そんな歌詞だったんだろうか?」 ビデオ収録中の片手に、少し力がこもり、頭の中の整理が付かなかった。 

メロディラインはほぼ、記憶通りであるが、歌詞が違っている。 ・・・歌い終えるまでの歌詞が全く違うのだ。 筆者の記憶する「十九の春」の歌詞は、「♪この葉みたいなヨロン島・・・何の楽しみ無いところ・・・好きなあなたが居ればこそ・・・いやなヨロンも好きとなる・・・♪」と続く。

しかし、今日の番組で、その謎が解けると同時に、大きな驚きと「十九の春」に纏わる幾多の苦難の歴史にヨロン島の悲しい歴史を垣間見ることができた。 そもそも、この歌は、てっきり沖縄民謡の一つであると筆者は錯覚・誤認してきた事実がある。 まったく島音痴であり、音楽に少なからず造詣のあることを自負しているものとしては、恥ずかしい限りである。

100余年の歴史のある「十九の春」は、ヨロン島を離れ、それぞれの数奇な運命に翻弄されながら漂流するヨロンの数多くの民を救ってきた事実がある。 それだけでなく、この運命の天使の歌は九州、奄美大島、沖縄と散住するヨロンの民を介して、それぞれの地で地域の民に、新たな命と救いの息吹を吹き込んでいった。 

そのような流転の歴史とともに、唱われる「十九の春」の歌詞は、それぞれの地で変転し、創作され、より深い魂の叫びとなって歌い継がれていった。 ときには、悲哀歌、ときには鎮魂歌、そして、あるときは賛美歌のごとく様々な苦境の狭間におかれた民の救済歌となり、営々と歌い継がれて今日に至っている。 

「十九の春」は命の滾りを彷彿させる歌で、原曲のラッパ節をメロディや歌詞ともに全く違った歌に変容させてしまった。 その歌を創作、伝播させたのは、まさに、変遷流転の荒波に揉まれ苦しみ続けてきたヨロン島の民であった事実を改めて知る。 

ヨロン島の島外に於いて漂流・流転して行った歴史を語る悲哀の唄として、幅広い地域と人々の心に浸透していった魂の唄であるとも言える。 ヨロン島の誇りであり、重要無形文化材と言っても過言では無いほどの文化・芸能資産として再認識、評価されるべきではないだろうか・・・

太平洋戦争の最中、奄美大島沖合で嘉義丸「かぎまる」と共に、海底深く海の藻屑となって眠ることになった数多くの一般市民への鎮魂歌ともなった。 

その慰霊鎮魂を重ねてきた、奄美出身の朝崎郁恵(あさざきいくえ)http://www.asazakiikue.com/ さんは、その唄者・・・ 無念の涙を十九の春の旋律に乗せて流し、犠牲者の霊を鎮める。 必死の思いで生存した沖縄の乙女は既に80余才・・・ そして、遭難直後に生まれた彼女の娘を、鎮魂の地に呼び寄せる十九の春のメロディー。 

胸に迫る強い哀愁と悲哀と悔恨が聞く人の心にこだまして途切れない。 今なお、多くの人の胸の奥深くに宿り消えることがない。

ときは移り、いま、新たな「十九の春」は時代の流れを映し、苦難や悲哀の色を変容させながらも、新たな命の息吹を吹き込みつつあるようだ。 

「長寿の華 多くの人々と手を握り クラブで共に語るなら 万古長寿の花が咲く 心も体も若返り 大きな長寿の 華の咲く」、と続く。 

平和な世相を映した安らかな歌詞に変容している。 石垣島に渡り、今は高校生の間でも、新たな平和な世の中(ゆがぷー)を希求する歌として、慣れ親しまれ歌われている。 そして、若人の唇には新たな希望と明るい明日を、その旋律に乗せて翔び立たせる。 「島の自慢を並べたら 数えきれんさ星の数 ・・・ 私の長所を並べたら 星の数ほどあるかしら・・・」 

何とも嬉しい時代の変遷を感じさせる唄となった。 かつて、悲哀の涙を拭ってくれた唄が、真に求め続けてきた唄心の投影かもしれない。

ただ、「十九の春」の歌が17才の若き乙女「アケミ」に「ジュリグラー小唄(女郎の歌)」として、避けることのできない悲運を込めた歌として歌わせた事実が有ることも総ての人々が心に深く、銘記し熟慮すべきではないだろうか。 

「見捨てられても 私はあなたに 未練は残しゃせぬ・・・ 白菊ぼたんよりも まだまだ 立派な花がある」。 切ない思いで聴くこの唄は、胸を裂くほどの悲哀の歴史と現状を訴えてくる。 あっけらかんと彼女の今を語る口元には、しかし、言い得ぬ寂寥感が漂い逃れることのできない運命の呪縛を伝えていた。

絶望の中でも、可憐に生きていた。 いや、現在でも、まだ依然としてその世界が沖縄には現存する事実を正視すべきである。  とくに、この唄が沖縄で深く根を下ろし歌い継がれている事実がある。戦前、戦中、そして敗戦後の惨憺たる社会の底辺に悲しく生きながらえながら、「十九の春」を支えに生活している多くの島人達がいる現実を、どう理解したら良いのだろうか。 

いま一度、総ての日本の民が「十九の春」の心の原点に立ち返り、人間としてなすべきことを熟慮すべきときではないかと考える。

幾多の苦難を抱えたヨロン出身の民が創作し、明日を生き抜くための灯明とした「十九の春」は福岡県の三池炭坑で生まれ、満州、鹿児島、奄美大島諸島、沖縄本島や石垣島他、数多くの島々へ、それぞれの地域風土や歴史に翻弄され同化されながらも唄い継がれていった。 そして、時代やその環境に応じて自在に舞い踊っていった変幻多様な旋律と歌詞・・・ 

「十九の春」は、そんな運命の荒波の激流と共に漂流し今日にに至る。

「十九の春」・・・ 数奇な運命を辿ってきた、この歴史的な悲哀歌。 きっと、これからも様々に変容し、歌い続けられて行くことを予兆する。 明日は、どこで、誰によって、そして、どんな風に、聴く人々の耳に届き、伝播して行くのだろうか。 

きっと、数多くの後生の人々に明るく、力強く生きる命の灯明となる。 そして、永き世に渡り、歌い継がれ、赤々と心の中で生命の灯火となり燃え続けていくことは間違い無いだろう。

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