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♪ 信じて~ルンルンルン∽! [随想]

僅かに赤や黄色の彩りを増したプラタナスの街路樹・・・木漏れ日が爽やかな初秋の東京。 静かに、緩やかな安らぎのときの流れが、道行く人をゆっくりと包み込んでゆく。

・・・傷心でヨロン島との別れを心に決めてから、ひと月余が、しなやかな水の流れのごとく過ぎ去ってゆく昼下がり・・・新たな再生の芽吹きを、秋色の装いに感じ始めている。 それは、図らずも、今は遠き心の人・・・限りない慈しみと奥深く豊かな知性、そして、温厚で柔和な人柄を心に染み入るまで感じさせてくれた・・・SA様との出会いの時期を同じくする頃の出来事・・・で有ったことを記憶している。

高校時代に密かに、心を寄せていたマドンナがいた。 違う地区の出身、ヨロン島東部とのみ書いておこう。 2つ年下で、本当に清潔感漂う、優等生で明るく闊達な後輩、Sさん。 んんん、残念ながら、同学年ではない上に、会うための口実が無い。 多分、多くの筆者の同級生の男子諸君がそのような感を抱いていたのでは無いかと推察する。 みんなSさんの事を噂する。 学校で評判のマドンナであった。

・・・・チャンス到来! 筆者が部長を務めていた放送部に、その方Sさんが入部して来たではないか! また、筆者が所属していた音楽部にも在籍。 と、そのような事で、幸運にもマドンナSさんとは比較的に、自然な出会いの機会を数多く持つことができた、と思う。 ・・・・生徒会活動を通じて、ふれあう機会も多かったように記憶している。 

しかし、高校3年生となると、それらの諸活動から早々と手を引いて行かなくてはならない運命・・・Sさんは入り立ての新人・・・・困った! そうこうするうちに、文通が始まった・・・・ とはいえ、大した交際には発展しなかった事実がある。 そして、筆者は東京へ・・・ それども、ときは瞬く間に過ぎ、2年後に東京で再会することが出来た・・・・ 真っ先に、Sさんの下宿先を訪問した記憶がある。

そして、数回の親密なときがあり、更にSさんとの付き合いが予想された。 しかし、運命は本当に皮肉なもの・・・ 筆者が、ずっとトライしていた英国のオ大学 http://www.ox.ac.uk/ への留学許可の連絡が、Bカウンスル(英国文化振興会) http://www.britishcouncil.org/jp/japan.htm から届いた。 その年の秋には出発を前提とした、諸準備が急加速していった。 すさまじいばかりの勉強と準備が要求された。 

おのずと、Sさんとの音信が疎遠になりがちとなり、渡英の直前には、筆者にはまったく精神的余裕が無くなり、また、関西への一時、移動を余儀なくされたりと、遂に、再会の機会を失してしまった。 ・・・・ソビエト経有で1週間の旅の果て、英国オックスフォード・ワドムカレッジ http://www.wadham.ox.ac.uk/public の学寮の門をたたくことになった。

・・・そして、数年が過ぎ、とぎれがちのSさんとの音信が、遂に不通となってしまった。 それから、30数年が経ち・・・・ふとした事で、なんと、一緒に食事をする機会が天から降って湧いた! 出会いとはまさに、そのこと・・・・ たまたま、Sさんと同級生の知人Oさんとの会食が予定され、その当日に、実は、筆者とも旧知のSさんもお呼びしたいのだが、良いかどうかとの確認電話であった。 

Sさん・・・? とっさには、思い浮かばない・・・が、よくよく聞いてみると、あのマドンナSさんではないか! それは、もう、喜んで・・・・あとは、言葉にならなかった。 なお、半信半疑であった。 反面、こみ上げてくる懐かしさと嬉しさが交錯し、平静を装うことできたかどうか・・・分からない。 

聞けば、Sさんは最近、元の姓に戻られ、娘さん2人と東京の北部地域に引っ越しされて来たばかりで、大手教育塾に支店長さんとして勤務しているらしい。 Oさんは最近Sさんと、一度、お会いしたとのことであった。 Oさん自身も少し、興奮気味であった。 休みが思うような曜日に取れないことが原因で、同級生同士でも、なかなか時間が繰り合わせることが難しく、今回は、ラッキーだったとのこと。 

Oさんとは、何度か、いろいろと会食やお話をしている間柄、何の、気後れも無い。Sさんは、彼女の同級生の間でも評判の美人で優等生・・・ そして、大の行動家。 なかんずく、沖縄舞踊と天性の音感の良さはには、定評があった。 その事は、Oさんも承知の事実。 

埼玉県のK駅で待ち合わせし、筆者の車で、予め、予約された行きつけのイタリアレストランへ直行する段取りになっている。 さて、いよいよ、Sさんが改札口より・・・ mmm、黒のスーツ姿にエレガントにスリムな容姿は、東京で最初に出会ったプロポーションそのもの、より、洗練された面立ちが一層、Sさんの魅力を倍加させていた。 

「お久しぶりです・・・」 満面の笑みに洗練されたご挨拶で、突然の再会がなされた。 お互い、たわいもない挨拶で臆面も無い。 あれほど緊張とある種の不安感に襲われていたことが嘘のよう。 ごく自然な流れで話が弾んでいった。 それからの3時間は、車中を含め、レストランのコースメニューに舌鼓を打ちながら、ワインで最高に盛り上がった。 四方山話にも大輪の花が咲き乱れた。 

離縁に関しては多くを語らないが、結局は、修復不可能に近いお互いの人生観の相違に因るものらしい。 とはいえ、Sさんの、かつての朗らかで闊達な話しぶりや、気遣い、聡明さは当時と変わることが無かった。 これまでの人生の波風を乗り越えた年月の分、幅の広さと深みを感じさせた。

この思いいもよらないSさんを交えて、こんなにも最高な気分で食事できること・・・があるものだ。 まだ、夢見心地の感で、楽しいひとときを過ごした事を、いまでも明瞭に覚えている。 

あっという間の歓談から明けて、もう、ほぼ1年余が経つ・・・ 今はお互いに、それぞれの家庭の立場がある。 しかし、くしくも、Sさんと会食を共にした頃には、筆者は既に後半生へ向けて、一人旅立ちの準備中であった・・・ これも何かの運命の計らい? 

Sさんとの定期的な交流も、自然な形でそれなりに順調に進んでいった。 とはいえ、まだ、それぞれの歩むべき路を二人の共通の道として語るステージでは無いことを、お互いが、暗黙に、認識している。 お互いに、整理すべきこと、準備すべきことを少なからず、抱えていることをSさんも理解しているから・・・ それぞれに、今を楽しみながら、共に歩める最良のときを待つことにしよう。 

そう遠くはない日に、共に歩める可能性の芽生えを実感。 さあ、これからは運命の神様が、途中で方向指示器を変えない事を祈るのみ。 切なる願いである。 Sさんにも、その想いを感じ取ることができる。

信じてまっすぐに、お互いが歩み寄ること。 その日々の積み重ねが、総てを変えて実現させてくれる。 そう、信じたい。 まっすぐに、お互いを見つめ、信じて突き進みたい。 たとえ、直前で反転しても、信じて進む事を後悔しない。 そんなSさんであると、確信する。

それが人としての誇りであり、また、お互いに相応しい人生の伴侶と信じ合えることのバロメーターでもある、と堅く信ずるから・・・

                   

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