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☆ユンヌに呼ばれて ♪ ★ [ヨロン島]

私、与論島へ移住したく思っていますが、実は一度も与論島に行ったことがありません。



不動産情報を知りたいのですが、緑の多い場所で、出来れば高台で探したいのですが、アパートとなると相場の家賃をお知らせいただければ幸いです。また、体験移住の情報をお知らせいただければと思います。



私は、現在セラピストとして活動しておりますが、20年のキャリアを持つ看護師でもあります。いざとなったら看護師としての仕事も考えております。よろしくお願いいたします。



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1.Date: Sat, 12 Jun 2006 00:21:10 +0900

こんにちは!



与論島移住の問い合わせをしました川奈麻美と申します。 このたびは、早々のご返答をありがとうございました。 また、ご丁寧な内容でとても満足しております。本当にありがとうございました。



一度も行ったことのない与論島ですので相手にされないのでは?とも思いましたが、本当にありがたい情報で助かりました。 変な話ですが、突然、『与論島!』と思ったのです。場所も良くわからず、なんの情報もないのに・・・埼玉県に在住している両親に話をしたら、なんと、両親も沖縄付近の小さな島へ移住したいと考えていたとの事で、とりあえず私が先に移住をしてみることとなりそうです。



今後も、何かと洋様に問い合わせることがあるかと思いますが、よろしくお願い申し上げます。




つきましては、与論島のDVDをお願いしたく、明日、¥500分の切手を送りますので、到着後、よろしくお願いいたします。




本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。

まずは、お礼方々ご挨拶申し上げます。




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2.Date: Sat, 17 Jun 2006 00:24:10 +0900

ヒロシ様




札幌も雨続きで、梅雨が来たようです・・・




DVD昨日届きました。ありがとうございました。切手が届かないうちに送ってくださって、もう頭が下がりっぱなしです。




私は15歳まで越谷で過ごしたのですよ。高校入学から学校の寮生活が始まり、越谷から出ました。 看護学校を卒業して、聖マリアンナ医科大学病院に10年勤めました。その後、札幌の病院に引き抜かれてこちらに来ました。10年働いたところで、燃え尽き退職をしました。



4年間もがき苦しみ、やっと、燃え尽き症候群から立ち直ったところです。随分と時間がかかりましたが、私にとっては必要な時間だったようです。

結婚もせず、ただただ走り続けた20年でした。



医療の最先端でがむしゃらに看護をしながら、本当にあるべき姿なのだろうか?と疑問も持ち続けていたのです。古川先生のDVDを見ながら、私の求めている看護を感じたように思います。



与論は、本来人間が生きる姿なのではないか?と感じるのです。北海道に来てアイヌ民族を知り、アメリカでも、オーストラリアでも先住民族が迫害されました。私は先住民族から人間のあり方を学びました。確かに現代はとても生きやすいのですが・・・毎日のように報道される殺人、マネーゲーム・・・欲にまみれた人間・・・とても悲しくなります。



私にできることなんて何もないけれど、日本のなかにまだ残っている与論島の人々の生き方を学びながら、少しでもお手伝いできれば・・・なんて思うのですよ。自然の中で、のんびり看護をしながら、人生の伴侶を見つける余裕を持ちながら、のほほんと生きたいなぁ~なんて思います。



本当にありがとうございました。また、近状報告しますね。ハワイも惹かれますね~。英語あんまりしゃべれないからなぁ・・・ぶつぶつ。



ヒロシ様も梅雨で体調を崩されませんようにご自愛くださいね。



敬具



川奈麻美



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3.Date: Sat, 24 Jun 2006 17:30:36 +0900
ヒロシ様



札幌も今年は梅雨のような日々が続いています。今日は1週間ぶりに太陽が顔を見せてくれました。



太陽電池で動いている私は冬眠から覚めたようです。(冬眠から覚めると元気すぎるのだけど・・・ははは)



ヒロシ様、貴方のメールにはホント力付けられます。ありがとうございます。ヒロシ様も色々あったようですね。だから暖かさが伝わってくるのですね。



さて、いざ行くとなるとさまざまな障害が出てまいりました。が!私の心は与論島に向かっているので頑張るぞー。



一度、与論島に行ってこようと思っています。会っておいたほうが良い方はいらっしゃいますか?役所で移住するにはどうしたら良いかはたずねるつもりですが・・・そして、お手ごろなツアーなどご存知であればお知らせ下さい。



余談ですが、私の友人に与論島の件をお話したら、その友人がきっかけで時々お会いする友人も与論島に移住する予定だと知らされ、なんとも奇遇だな~と驚いております。彼女たちは10月ごろをめどにしているようですよ。今度ゆっくりお話を聞いてこようと思っています。



彼女たちとは、本当に何ヶ月かに1度会うぐらいの方々ですが、なにかとても縁があるように感じる方々で、その生き方や、ものの捕らえ方、人との関わり方には学ばされることも大変多い方々なので、私もとても嬉しく思っています。 何か・・・神に導かれているような・・・そんな感じがします。



バリは山もあるのですね。私は、太陽と森林からエネルギーをもらっているので、与論はちょっと森林が足りないかしら?と不安材料もあります。大学病院を退職したとき、バリで働かないかと言われ、かなり迷ったことがありました。いずれバリにも行ってみたいと思います。



やっとこサッカーも終わりました(まだ終わってないけれど)サッカーサッカーでちょっとうんざりしていました。



私は、20代はサーフィン、30台からスキー・スノボーで明け暮れました。スポーツってやるとめっちゃ楽しいので、もっぱらやりまくりで、観戦はほとんどしません。変わっているんだろうな・・・



与論島に気持ちが向かうようになってから、私の心は大分変化しています。まるで子供時代から現在に至るまでに学んだ全てのことを統合し成長しているような・・・どうしても超えられなかった壁が次々と越えられているような・・・良くも悪くも影響を与えてくれた私に関わってくれた全ての人々に、心から感謝が出来る、そんな気持ちが私の中からどんどん湧き出てくる・・・そんなありがたく気持ちの良い学びが出来ています。不思議ですよね・・・




本当にヒロシ様、与論島で、または東京でいつかお会いできる日が訪れますように・・・楽しみにしています。



川奈麻美



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4.Date: Mon, 3 Jul 2006 11:05:47 +0900

ヒロシさま



札幌も、やっとお天気の日が続くようになりました。我が家から見える木々も喜んでいるように見えます。



お返事ありがとうございました。



ツアーを散々探し、プリシアリゾートステイにしました。決めてからロイ様のメールが来て、びっくりいたしました。どこかで繋がってる?うふふ。7月10日札幌発です。7月12日には実家に行きますが、13日札幌に戻ります。



まずは、与論に出向いて、感触をつかんで参ります。自分の直感を頼りに・・・



ライフステージプラン・・・持っていません。(ガーン) 何か・・・病院を退職するまでは、自分の理想の看護婦像に完璧になれるよう頑張っていました。使命感に縛られ続けていました。



燃え尽きた後、本当の自分を探す旅となりました。今、やっと本当にやっと、オギャーと生まれたような感じなのですよ。気持ちよく過ごせることを当面の目標としています。



北海道は、自然の多い素晴らしい場所です。とても厳しいけれど美しい冬、雪に埋もれた木々の生命の強さ、ゆっくりと流れる季節、それはそれは素晴らしいです。



ただ、パワーをもらえる土地と、エネルギーを吸い取られる土地があり、私にとってはエネルギーを吸い取られる土地のほうが多いように感じます。



不思議なのですが、アイヌ民族のことなど何も知らないのに、民族の想いが私の心の中にすーっと入ってきて、大泣きして、心から謝罪したことがありました。このことで、狩猟民族なのに、狩猟を禁じられたことなど、和人から迫害されたことを知るきっかけとなったのです。



クルーズですか・・・ヒロシさんは何でもするのですねー。凄いな。その夢、私も混ぜてくださいね! テニスは私も気になっています。ゴルフはとてもやりやすい環境にいるくせにさっぱりです。サーフィンはもう体力がついて行きません。素もぐりでもするか・・・



本当に、ヒロシさんとは、一度お目にかかりたいと思います。いつか・・・お会いできることを楽しみに・・・



東京は暑い日々が続きます。くれぐれも体調を崩されませんよう、ご自愛くださいね。



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5.Date: Tue, 4 Jul 2006 03:58:58 +0900

ヒロシさま



与論へは7月10日~12日。埼玉12日~13日の予定です。 (せっかちなのです)



うんうん。私も、旅はぷら~っと、あまり情報収集せず向かいます。自分の感覚に頼ることと、地図には強いはずなのに、なぜか迷子になって、だからこそ必要なものは見せてもらえるから。



物怖じしない性格だし、困ったときは人に聞く。これでだいたいその土地に自分が受け入れられているかわかるのよね・・・ 楽しんできます。



帽子なんて持ってないわ・・・だいたい、今年はまだ半袖も着ていないのに・・・何を着て行ったら良いのやら・・・完璧、焦げます。暑いのにも体がびっくりするかもね。
 
ひーーー



ヒロシさん・・・私、英語はさっぱりです。私の周りは黒人だらけなので、優しい言葉ならなんとか聞き取れますが、さっぱり話せません。このHPって、ヒロシさんが作っているのよね・・・プリシアの産みの親って?いったいヒロシさんは何者?でしょう???



ううう・・・英語が話せたら迷わず海外に行きます。アメリカのスキー場で、一番暖かい手袋を下さいと言いたくて『ホットグローブ』で通じなかった・・・今でも謎だわ。



それでもお気に入りを見つけてゲットしてきましたが。(あきらめない人なんです)遊びに行くには身振り手振りとスケッチでなんとかこなすけど・・・私にとって宇宙語です。



夢を膨らませながら寝ます。札幌はもうしっかり太陽が出ました。
 
おやすみなさい  zzzzz



かわなあさみ



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6.Date: Wed, 19 Jul 2006 00:36:22 +0900

ヒロシ 様



こんにちは。 札幌に戻ってみると、札幌もいきなり夏になっていましたが、湿度がとても高く気持ちが悪いです~



さて、ヨロンは不思議なことが沢山起こりました。



まず、札幌から羽田に向かう飛行機の中で『やっとここまで来れた』と言う感情がわーっと噴出し、涙がポロポロ出てきました。ここまで来れたって?ヨロンに向かうことが出来たことなのか?なにか魂の成長をさしているのか?初めから決められたプログラムだったのか?



良くわからなかったのですが・・・そのうち解るときが来るだろう・・・ぐらいの受け止めで、出る涙は出させておきました。



旅は続き、次に沖縄からヨロンにむけて飛び立ったとき、もうもう大粒の涙がボロボロ溢れ出し、感情はもう言葉では表現できない感じで、魂から湧き出るなにかのような・・・とても不思議な感覚に落ちました。(何だったのでしょう?)



島では、今回の目的は情報収集でしたので、原チャリを借りて、島巡りと畑で作業するおじさんA ・B・C、野菜を売ってるおばさんと、高校生の3人組など、それぞれ時間をかけお話して、触れ合ってきました。



ついでに、観光客にも声をかけ、お話してみました。観光客はリピーターが多く、中にはヨロン移住を考えている方にもお会いしました。



島巡りをしながら、暑くなったら、その辺の海にドボンと浸かり、また島巡り・・・おかげで、焦げました。UVケアーはしていましたが・・・只今、脱皮しています。



その他、病院も全部見て歩き、患者さんに話を聞いたりしてきました。 夜は、役場の方が飲みに連れて行ってくれました。そこで、スピリチュアルなお話をしたり・・・不思議な出会いがあったり・・・



とにかく、めっちゃ忙しく、睡眠時間も2時間程度で頑張りました!



感触は、島に呼ばれてる?って感じがしました。私が行くことで何かお役に立てることがあるのかしら?と感じたのです。



マリンスポーツを楽しむ余裕はなかったけれど、島にいる間はとても精力的に活動し、やる気満々でした。こんな旅をしたことがなかったので、新しい自分の発見が出来ました。



札幌に戻ってみると、いきなり、気分は落ち込み、わけもなく活動停止どころか鬱状態に入り、ああ~本当に札幌が合わなくなったのだなぁ~と感じさせられました。



両親にも会って来ましたが、父の体調があまり良くないようで、移住にはどうか?と思いました。実家の近くに戻り、彼らの側にいたほうが良いのか?とても考えさせられました。




まだ、結論は出ていませんが、私は、高校生の頃から家を出ているので、彼らの側で親孝行をしたいと思うのですよ。父の夢であった南国の島暮らしを実現させてあげたいとも思いますが・・・体力的にも難しいような気がして、とても難しい選択です。



ヨロンから帰ってきたら、色々悩んでもヨロン島に行くんだろうな。ヨロンの後はバリだなとふっと思うことが度々あります。そして、そんな人々が私の周りに集まりはじめました。




私の夢は勝手に一人歩きをして私の気持ちを無視してどんどん向かうべき方向に進んでしまっているような・・・とても不思議な感じがしています。



どんな土地でも、どんな天気でも左右されない心がほしいわ~と思うこのごろです。



ヒロシさんのご両親はご健在ですか? 私は、ずーっと独身なので、とても身軽ですが、年老いた両親を見ると心が張り裂けそうになります。



ついでに、我が家には年老いた猫もいて、この子もいつお迎えが来てもおかしくないので、猫ですら心が砕けそうになります。誰よりも死を見つめてきたのに・・・私も死のふちに何度か立たされ、臨死体験もあったのに、自分が死ぬことより、大切な人々の死のほうが怖いと思います。こういう感情は嫌なものですね・・・後悔しないような選択をしたいと思います。




長くなりました。 そちらはかなりお暑いのでしょ?世界中を飛び回っているヒロシさん、どうかお体には充分お気をつけくださいね。



麻美



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7.Date: Sat, 22 Jul 2006 13:31:41 +0900

ヒロシさま



札幌は7月に入ると毎週金曜日、花火が上がります。久しぶりに、花火を見に行きました。長袖ブラウスにGジャンってどうなの?と思いながら・・・(花火だけど・・・さぶっ) ちまたでは土砂崩れで大変なのに、私はのんきです。



ヨロン・・・風は強かったのですが、ピーカンでした。私、強力な晴れ女なんですよ。友人からも長方されています。えへへへ。



・・・そうですか、ヒロシさんは色々大変だったのですね。ヨロンの方でしたか・・・生まれたときから宿命を背負って来ている方も沢山いらっしゃいますが、ヒロシさんのように力強く生きていらっしゃる姿を拝見すると、人間って素敵だなと思います。私なんかが想像も出来ないほど、ご苦労があったでしょうに・・・ね。



先日、ヒロシさんって何者?と思いHPを覗きました。本来、私はあまりそういうことはしないのです。自分の感性を大事にしたいので。先入観を持ちたくないのですね。見てびっくり!ひー。凄い人だったんだー。って思いました。



普段、私は、メール交換などほとんどしません。友人とも連絡事項のみです。それが、ヒロシさんとはこうしてメールのやり取りをして・・・沢山、ご苦労した分、人間の深みがあるのでしょうか、優しさや包容力の大きさが文章からも伺えます。だからこそ、ひきつけられる魅力があるのですね。



なぜ、ヨロンなの?是非是非教えてください。もっと、ヒロシさんのことを教えてください。聞いては失礼かと思いますが、ヒロシさんのご家族のことなんかも知りたい知りたい・・・ぞ。(私、知りたがり屋なんです)



私は、とても勝気で気が強く、傲慢でした。可愛げのない子でした。自分を見つめる時間を与えられ、角が取れたと言うか、素の自分に戻れたと言うか・・・人間嫌いだと思っていたのに、実は大好きだったんだとわかったのです。



私の一方的な両親との確執もありました。今、私は両親の子供として生まれてきて良かったと思うし、私が彼らを選んで生まれてきたのだな・・・と思います。感謝の気持ちで一杯なんです。



ヒロシさんじゃないけど、越谷は私にとって浦島です。(笑)



人を大切に思えることはとても気持ちの良いことですが、好き勝手できなくなりますね・・・ 


私がどの道に進むかは、今はあまり考えないようにしています。将来のことも。自然の流れが出てくるので。どこの地に行こうとも、何をしていようとも私が何を大事にしていくかが一番大切なのかな。と思うのですよ。気持ちひとつで私がいる場所は楽園になります。



ただ、合わない土地も出てくるのですが、土地が合わないのか、見えない宇宙の偉大な力が、私に転機を与えているのか・・・おそらく後者なのでしょう。言葉で解りやすく言ってくれ!と思うことがたたあります。



私が札幌を離れる時期だと感じたので、こうしてヒロシさんとも出会えたわけですし・・・ね。宇宙の力(人は神と呼ぶのでしょうね)は凄いな・・・と思います。



どちらを選択したとしても、ヒロシさんとはいずれお目にかかれますね。越谷ならヒロシさんの会社の近くですし。ふふふ。不思議ですね。



宗教って難しいですよね。私は、3人の牧師(外人さんと日本人)のマネージャーもしているんです・・・キリスト教ってちょっと縁があるのですが、私の捉え方とかなり違ったこともあるので、私は無宗教です。私の周りの牧師たちはクリスチャンになれと強要もしないのでやってられるのですよ。宗教って所詮は人間の手が加わっているからね。と思います。・・




ヒロシさんがどこかの宗教を崇拝していたらどうしましょう・・・ごめんなさい。



では・・・また。 直でお話したい?どうぞどうぞお気軽にお電話下さい。 夏です!札幌に涼みにいらして!ふふふ。本当にお目にかかれる日を楽しみにしております。



麻美



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8.Date: Mon, 24 Jul 2006 12:27:21 +0900

ヒロシ様



札幌は花火早いのよ。5月のリラ冷えを過ぎるといきなり夏になります。冬、雪に閉ざされた人間は性格も閉鎖的ですが、夏になると人間も開放的になります。人間って本当は暖かい地域で過ごすことが本来の姿なんではないか?と思うほど・・・



7月に入ると、気分は夏休みで、はじけてしまうのです。花火を8月なんて待てないといったところでしょう。梅雨もないので、暇って言えば暇なんですね。ははは。



北海道は、雪に閉ざされた冬も見ごたえがありますが、夏の緑盛んな時期も良いですよ。世界遺産は知床です。が、あそこは、真冬になると入れなくなるのですよ。雪で除雪されない地域なのです。あっ!世界遺産になってからは入れるようになったかも知れませんが・・・



夜の銀座・・・「すすきの」ですね。私はほとんど行きませんが、エネルギーが怪我されるように具合が悪くなります。それでも、外人さんのよく集まるバーやディスコには行きます。ってか連れて行かれちゃうのよ。



私は、ゴスペルをやっているのですが、キャバレーに歌手のバックコーラスでお仕事をしに行ったことがありました。純情可憐な私には刺激的でした。ぎゃはは・・・嘘です。でも、こんな世界もあるんだな・・・と。女の子はそういうお店に入れませんから・・・



ヨロンの方々は、島中知り合い?って感じですよね。そして、人が良い。お話好き、で、ちょっと恥ずかしがり屋さん。ヒロシさんが訪れたら、それはそれは、大事件でしょ?ぶっはっは。誰もほっといてくれませんよ。そんな人情も深い人々なのでしょう。刺激もほしいんだなと感じましたよ。



こっそり行ってこようなんて土台無理な人々です。私だって、島を知るには役場!と思い、行ってみたら夜の接待ですよ。ただの観光客なのに・・・あそこの人々は凄いです!良い意味で。



オーブ・・・私は見たことがありません。が、木々の多いところに行くと思いもしない考えが浮かんだり・・・神様が降りてくるような感覚になります。私は林や森林がなくては生きていけません。天使や精霊とのコンタクトを取る感じかな。答えをもらえるしね。



ただ、私の場合、エネルギーの場が見えるんですよ。時々、金色の小さな珠がヒューヒュー飛んでいることもあります。(人にはほとんど言いませんが)それがオーブなのかは不明です・・・



私の神秘体験については、そのうち機会があれば、ゆっくりお話しましょう。



私の住いはどこを見ても林です。おかげでカーテン要らず。ふふふ。 私の一日は、そんな木々を見て、コーヒーを飲みながらボケーっとすること、木々の気持ちが伝わってくることがあります。その後、瞑想して・・・お祈りして・・・一日が始まります。出かけるまでに3時間はかかりますね。



パートナーですか・・・ずっと私はパートナーがいないので、寂しいとか全く思わないのですよ。これはまずい!と思いますが・・・恋愛もどうやってするんだっけ?デートってどんなもんだったっけ?これまた浦島です。決して、もてないわけではないのだが・・・



友達は男性のほうが多いのですが、彼等いわく、見た感じ女の子らしいが、頭は男だ・男より男らしいなどとと良く言われます。先日、家に帰ったとき、母にまでそう言われてガックリ・・・どこがいけないんだか・・・さっぱりしすぎ?



唯一欠けているもの・・・と私も感じてみたい。神は必要なとき、必要な人を私に与えてくれます。私に必要ならば、パートナーも与えられるのでしょう。そして、これまで独身だったのにもちゃんと意味がありました。これから、どんな出会いがあり、どんな人生を送ることになるか・・・楽しみですよ。



宗教については、私もちょっと学びました。独学ですが、宗教・哲学・精神世界・・・全て言っていることは根本的に同じだと感じました。



私は、子供の頃から独自の神の捕らえ方があるのです。私には、宗教は必要ない。心の中に刻まれているから・・・でも、神の存在はあると思っているし、日々コンタクトを取るようにしています。



人それぞれの神の形があって良いと思うし、宗教で救われるならそれも良いと思っています。人々が幸せになれればね。



最近、特にヨロンへ気持ちが向かい始めてから、偶然の一致・共時性が多く出てきました。おそらく、私はヨロンへ行くことになるのでしょう・・・ この、共時性が何を意味しているのか、まだ解りませんが、私に課せられた何かが待ち受けているのかも知れませんね。




私は、先入観って持ちません。その人が何をやってきたか、何をしている人かは、私には問題ではなく、その人の魂が何を求めて、何を大切にしているかが重要なことに感じます。お会いするとその方が持つ潜在意識みたいなものを感じ取れるのですが・・・



実際、友人たちは、知り合ってややしばらくして『凄い人だった』という方が多いのですよ。だからといって何も変わりません。



自分を誇示したくて、ライセンスで埋め尽くす者も、悲しいけど多いでしょ?本物は自然と結果が付いて来ちゃうのよね。接すれば本物かどうかはわかります。



ビジネスの流れの中のお付き合いでしたか・・・ 私は、とっくにその域を超えていました。ごめんなさい。失礼なことも多々あったのではないでしょうか?そして、受け入れてくれてありがとうございます。



それでは、ビジネスのお話です。



かなり、ヨロンに傾いていますが、動くとなったら、8月中にはと思っています。一番の問題は住むところです。いざとなったら、徳州会病院に勤め、寮に入ることも考えていますが、老猫もいるので、出来れば動物可能なところに入りたいのですが、住居はありますか?お知らせくださると助かります。



徳州会はね、全国チェーンなので、ヨロンから埼玉に帰るときも希望を出せば転勤になるんですよ。考えました。調べました。逆のパターンも考えました。えへへ。



良いお返事が来ることを祈っています。そしたら8月にはもう与論かもね。 ヒロシさんも、ぼやぼやしてると乗り遅れるぞ~。



麻美




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うぐみの森~悲哀と怨念の一里塚 [ヨロン島]

「うぐみ」が泣いている・・・ 冬枯れの森の木立を縫って声なき声が「うわーうわー・・・・」 ほの白い灯油ランプの影で、皆が声を押し殺し慰霊の念を捧げる。

道無き道、そう、種々の亜熱帯樹や草木で覆われ、鬱蒼とした昼なお暗いウドノスの丘。 旧公会堂へ通ずる崖に這い蹲って伸びる細道は、うぐみの悲しみの血色に塗られた藪道・・・この世に生を受けてはならぬ子の、二度と帰ることを許されぬ死出への旅立ちの道が、細く暗くウドノスの森へと蛇行しながら伸びている。

 

顔面蒼白の、臨月間近の妊婦は白絹をまとい、朱模様の赤い帯を腰に無造作に巻き付け、古木の杖で重身を支え、息絶え絶えに終の床へ、運命の子らを腹に抱き辿り着く・・・中には、途中で息絶え、崖下の怒号の逆巻く渦波へと身を捧げていく隠女もいた・・・と聞く。 

「うわー、うわー、うわー・・・・・」決して弔われない霊たちの・・・悲しいサガの運命を背負い、この世と離別したおんな達の深淵からの、悲痛なもがきと叫び・・・ ウドノス一帯の岩窟、雑木は悲霊の終の棲家。 かすかな、うぐみの切実な悲哀に満ちた声の余韻が、いつまでも耳に付いて離れない。

・・・・ 幾星霜、ときは遷りユンヌのヒブラも祓われ恋のさかりばとなり・・・怨念の宿り木もいまや世の案山子となる。 ウドノスの丘は異国の情緒を映すギリシアの村へとすっかり変貌、かつての面影は表面的には、みじんも無い・・・ あはれ、鎮魂のこころと祈りを、報われずしてこの世から露と消え去った悲哀の女霊達に、少しでも手向けよう・・・ せめてもの弔いに

ユンヌの原像も変容し・・・また、心の闇が開け、かつてのウドノスの闇・・・魔界は夢幻の世界へ・・・ユンヌよ どこへ行く。 つらい過去の大地は動かずとも人の心は動き、ぶつじ(物事)はすさまじく変転し、まさに台風一過、古き時代は去りゆく・・・・永久に。

うぐみの森・・・・・いまなお、その名残を、その辛い過去史をとどめおく、心ある人の一里塚・・・ いつまでも 苦難の十字架を心に刻んで欲しい。 二度とうぐみの悲霊が再臨されませぬよう・・・ 

こころから、せめてもの 鎮魂の礼を尽くしたい・・・・ 合掌

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★ヨロン駅&ミルキーウエイ★☆★ [ヨロン島]

見上げてごらん 夜の星を
小さな星の 小さな光が
ささやかな しあわせを
うたってる

              

見上げてごらん 夜の星を
僕らのように 
名もない 星★が
ささやかな しあわせを
祈ってる
・・・・・・・・・・・

手をつなごう 僕と
おいかけよう 夢を
二人なら 苦しくなんか
ないさ


・・・・・・・・・・・

見上げてごらん 夜の星を
小さな星の 小さな光が
ささやかな しあわせを
うたってる
・・・・・・・・・・・

見上げてごらん 夜の星を
僕らのように 
名もない 星が 
ささやかな しあわせを
祈ってる

          
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヨロンの夜空を 埋め尽くす星
限りない広がりと 慈しみの微笑みを
ちりばめた 星空の天幕
                                   

きらめき走る 流れ星は
願い星☆ 
想い願う人に届く 
叶い星★
                                   

澄み渡り流れる 天の川は
ヴァージンロード・・・
                                   

そして 二人の路
ヨロンの道の駅へと通ずる 
希望と夢を乗せて 
開かれる道
                                     

そんなヨロンの星空に
限りない想いをこめて 
会いに行こう
                                     

永久に美しく煌めき澄み渡る
ヨロンの夜空は 希望と夢とを
繋ぐ世界
                                     

いつまでも いつまでも・・・
そう願いたい

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                       

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★ヨロン島再生交信録 (2) [ヨロン島]

(6) Dear Chii-san,

今日も、こんばんは! ももちゃんは元気ですくすくですか? 初めての夏で何かと、ママとしては心配?かな。。。

つい先ほど、Chiiさんかあのヨロン通信14を読ませていただきました。その前に昨日、メール送信をしてありますが、good-timingでしたね!ヨロン通信14を読んだ後に送信していたら、言い訳がましい感じもしますので・・・・ それにしても、当方の「ダイヌパナヴィラヨロン」構想が、全く予想だにしていないような状況で地元では話題に引き回されていた!?・・・なんて、本当に驚き桃の木何とやらです。怖いですね・・・

でも、Chiiさんとの偶然の出会いは、女神の引き合わせとしか云いようがないですね。本当に、誤解されていることが分からないままあの、構想を推進させていたら・・・・ぞっとします。 本当に、有り難うございました。

そもそもは、喜山康三議員 http://yoron.netbank.co.jp/okabe/index.shtml が議会に対して、ヨロンの若者達のアパート不足の窮状を訴え、町営のアパートやマンション(とまでいかなくても)等の、早急な建設の必要性を訴えていた議事録を、小生がたまたま読んだこと。 そして、お話しましたように、いろいろな分野の方々が共生しながら、より良い地域社会への貢献活動のできる気楽に滞在、居住できる場を提供したいこと。そして、バリ島との文化や人的交流のベースとして、ヨロンの人々にも異文化交流の大切さを啓蒙、啓発していけるような場にしたいこと、いま、ヨロンには殆ど完備されていないギャラリーをもうけ、地域の芸術活動の発表と推進の場となれるような場を提供することetc。

それには、Chiiさんのような創造、啓蒙、情熱とキャリアをかねた方の関与が必須条件・・・特定の分野で関心をもっている方には何人かお会いする機会があり、その方向から始めながら最終的に目的とする方向へ様々な方々の関与と支援を頂きながら展開するのもいいかな、って思っていた次第。そこにChiiさんが現れたとのいきさつ。

ご理解を頂き、そのような同様なベクトル上で協議、推進を頂ければ本当に嬉しい限りです。そして、その場所が島内外の方々のよりよい共生のスペースとして発展しくには、どの方向性が良いのか・・・これから、じっくり考えたいと思っています。

順序が逆になりましたが、Chiiさんの「ヨロン通信」を当方のヨロン関連サイトのHPGのリンク先に加えさせて頂きました。 もし、削除をご希望であれば、その旨ご指摘下さいね。http://www.minkantaishi.org/yoron.htm

是非、Chiiさんの積極的な、将来の悠遊クラブプロジェクトへの関与、ご理解とご支援を頂けますよう祈念致します。

思案の事が、うまく正確に伝わったか、若干、懸念しております。

お気軽にメルヘン、コメントetc下さいね。

ではまた。

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(7) Chiiさん

今晩は。暑い日が続きますね。
昨日は、知人と江戸川の花火で納涼してきました。

花火の賑わい&ファンタジーナイトも良いですが、ヨロンのミルキーウエイの夏空も恋しいこの頃です。

2日(火)11:30、恵比寿2F東口改札口待ち合わせ~ランチョン確認、有り難うございました。 気楽に、いろいろとお話しましょう。

Looking forward to seeing you soon......

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(8) Chiiさん

昨日、書き忘れましたが、今度、実家帰り、もしくは、上京の折に、お会いする機会を作っていただけますか?

DPV(ダイヌパナヴィラ)の開発について、早い時期から貴女とお話をし、いろいろな構想を発展させたいと考えております。できれば、貴女の案も早い時期に勘案したいこともあります。

よろしくご留意願います。 暑いおりご自愛下さい。

ではまた・・・ 

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(9) Dear Chii-san,

おはようございます。

Meは25年近く、海外投資開発(最近は国内、とりわけ東京が多いですが)関連コンサルタントですので、マイペースでの時間設定が比較的自由で、朝はこの時間帯は、ゆっくりコーヒー&情報の収集(新聞、雑誌、インターネットetc)タイムです。 Chiiさんは、今が、一番に多忙な時期ではないかと推察します。

レス有り難うございました。またひとつ、Chiiさんのヨロンにおけるビジネスや活動の指向性が明確になってきた感が致します。・・・・あまり、Meの周りでMBA資格を保持しながら活動している女性の方がおいでにならないこともありますが、これまでChiiさんのヨロン通信で分析、提示されているレポートやプレゼン等の内容や調査手法等の原資から推察し、納得した次第。

Meのビジネスキャリアに相通ずる共通部分がChiiさんの業務経験の中にも多分にあるような気が致します。 ・・・Meはバブル期を挟んで3年ほど、山一証券経済研究所(海外投資情報部)に在籍していたことがあり、経営分析や様々な企業調査活動を通じ、ビジネスとは何か?を模索し情報発信をしていた事もあります。 

その前後には、JICAの海外調査スタッフとして(東南アジア、中近東、東アフリカ諸国担当)さまざまな国で、やはり日本とのビジネスを通じてその国の経済、産業、文化インフラをいかに高めて共栄しあえるか・・・をテーマにしておりました。

ちなみに、以下にMeの必要と思われる主要な業務経験等を書いておきます。その方が、今後いろいろとお話をする上で、Chiiさんにとって、これからのプロジェクト等に関するご理解やスタンスが決め安いのではないかと考えますので。

・・・・・・ 教育関連業務 ・・・・・・・・
・ECC外国語学院 
http://www.ecc.co.jp/ を最初に東京に設立しその後、関東以北の
 当学院のビジネスモデルの基礎作りの中心スタッフ
・東京外語学院、東京スクールオブビジネス(千駄ヶ谷、代々木)の教務部長
・東進スクール 
http://www.et-toshin.co.jp/ (大手予備校)の教務指導担当役員
・ケント国際学院(K・デリカット)共同事業 ・・・ ケント氏の体調不良による
 帰国と中止(4年間ほど開校・・・東京、大阪、宮崎、沖縄校)
・埼玉県教育委員会(文部省委嘱事業)委嘱で県内30校のIT及び国際化授業の
 モデルプログラム策定業務に参加(2年間)

・・・・・・・一般ビジネス関連・・・・・・・
・ジャイカ 
http://www.jica.go.jp/ 海外フィールドエキスパートとして、東南アジア諸国
 (インドネシア、モルジブ、タイ、フィリッピン)、中近東(イエメン、オマーン)、東アフリカ
 (エチオピア 及びソマリア)での諸情勢の調査及びODA関連コンサルタント業務
・ユネスコ基金によるインドネシア(ボロブドール~バリ島・ロンボク島)観光開発関 連プロジェクトへ参加
・ヨロン島(プリシアリゾート開発推進)観光開発プロジェクトへの参加
・関西の大手不動産開発会社の米国西海岸でのリゾート及び不動産開発
プロジェクトに参加(ハワイ・ワイキキに本拠を置き投資顧問を受託)
・山一証券経済研究所の海外投資情報部に所属(企業調査、経済分析等)
・PWEパンワールド・エンタープライズを創設
・民間大使交流会を創設(海外の学校やリゾートホテルへの民間大使・
 ビジネス研修生の派遣プログラム:現在も実施中)
・海外留学エージェントとの共同・提携業務
 ネオ・スクールオブビジネス(池袋)、アイゼス(池袋)、IEC国際センター
・遊遊クラブの創設推進 (海外移住及びロングステイプログラム)
 ※現在、所定の基金の調達活動中(ほぼ50%の予定の用地等の収容が完了です。)
・東京都都市再開発プロジェクトへの参加
・無公害建設内装材の上場へ向けてのプロジェクト参加(内外に於けるPR
 業務他)※これから、本格的に取り組む主要ビジネスです。
 (シックハウス症の根本的な除去・解決を実現できるハイテク素材)
 是非、Chiiさんにも、将来の有望なエコ商品として参画し、ヨロン他の活動や収益の 源泉としても魅力的な新規商品推進プロジェクトです。既に、ミサワホームがすべて の新規住宅に標準仕様として採用内定で、今後、様々な 住宅、オフィス、病院、介 護関連施設他の多くの分野で当該製品「ハイパーセラン」が採用されることが推察さ れます。 現在、2~3年後の上場に向けての様々な準備を開始したばかりです。

・・・・以上かな? 必要と思われる部分だけ脳裏にとどめておいて下さい。

ちなみにイギリスの専門学校、大学 http://www.wadham.ox.ac.uk/public を終えて、そのまま、ロンドンで2年ほど、日本語教師や学生向けカウンセラーをしながら、貿易関連のアルバイトをした事もあります。その関係で、ほとんどヨーロッパや東欧の国々は経験があります。特に、ソビエト時代には、親しいタス通信の方がいたこともあり、10数回も訪問致しました。

・・・・・ 閑話休題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヨロンの場合、場所や環境はいろいろな相違点もありますが、それらの経験や昨今の日本のリゾートライフやリタイヤメントライフスタイル等の多様化、グローバル化に対応できるような、新しいコミュニティ・リゾートの創生ができるものと推察しております。 ボーダーレスな意識改革は、若い世代を中心に、かつ、高齢化社会に突入する世代にとってはより大きく、強いものがあるのではないかと思っています。

メールではどうしても堅い話になりがち・・・アイスクリームのオブラートで包んだ構想なのですが、お会いしたときにまた、お話しましょう。あなたの意見や提言も、じっくりとお伺いしたいし・・・きっと、いろいろな創生のきっかけが産まれて来るものと確信しております。

8日の午後3時の件、ココサロン http://www.int-acc.or.jp/coco/main_sitemap.html にゆく前に少し、いろいろな事をお話したいので、まずは、恵比寿駅の東口でお会いしましょう。駅を出た所のすぐ近くに喫茶店がありますので、そこで1時間位~それから向かうことにしましょう。駅から5分くらいですから。

最長のメールかも知れませんね。 ・・・・以降、手短にします。

それから、また、お願いで恐縮ですが・・・・Meのことは、ロイ、もしくはロイさん位の呼称でお願いします。気楽にいきましょう。

Have a nice trip back-sweet home, Tokyo and hoping to see you soon .........

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(10) Chii さん

お早うございます。

折角の帰省がお子さまの看病で・・・でも、幼児を持つことの大切な日課ですね。3歳児頃までは様々な、思いがけないケアーの必要性が発生するのは常にこころしておかなくてはなりませんね。

小生の2人の子供達も幼少を海外で過ごした事もあり、日本以上に大変な思いをした事を思い出します。 楽しんでお子さまとの日々を大切に!

Chiiさんのブログで予告のありました、「魂の島・ヨロン島」を観させていただきました。Chiiさん一家のスナップ&浜下りの紹介も、あらためてヨロン島の伝統文化の息吹の一旦を知ることができました。そのような島文化や癒しの島としての古き良き文化を若い世代も積極的に受け継ぎ次世代への伝達を心がけてくれるといいな、なんて思いました。

そういう点で、Chiiさんや同じような意識を持つ島内外で共感しあえる一人でも多くの方々が英知を結集し、具体的なかたちへと昇華・結実させて行けることを願っています。その輪の中に、小生も何らかの形で、寄与、協力できれば良いななんてことも・・・・

また、機会を見つけてお会いし、それぞれに想起している事柄もお話しましょう。 

残暑とはいえ、これからが夏本番・・・健康にご留意下さいね。

ロイ

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(11)
Chii さん

お子さまが熱で、心配ですね。 夏風邪でしょうか?

1才未満児の夏風邪は特に要注意です・・・気を付けて看護してあげてくださいね。

アポイントの件は、また、Chiiさんのご都合の付けられる折りにご連絡頂ければ、極力、時間を合わせるように致します。Never worry about this at all.

お子さまにとっては、初めての夏体験(ママにとってもかな?)大変でしょうけれども、Chiiさんなら、クリエイティヴに楽しく乗り切れるものと推察致します。

また、お会いできる時を楽しみにしております。

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(12) 2005年9月5日 22:13(最終交信録)

Dear Chii-san,

今晩は、Chiiさん。 ・・・もう、秋。。。!

今夏は無事、お子さまと乗り切ることができましたか?良い夏の思い出を花籠いっぱいストアアップされたことを祈念致します。

つい3日前、小生がハワイでポリネシア文化センターでのイベント企画を共同主催しておりました、日系3世のキャシー香川さんと六本木で話しをする機会がありました。年に数回ほど、来日しますが、今回は世界平和フォーラムへの出席・・・本業は、5つほどの不動産及びメンテナンス関連ビジネスの会社を束ねる社長業ですが、名誉的なボランティア業も多々・・・

・・・香川女史にヨロン島の話しを、雑談の流れの中で致しました。オンリーワンの島作り、ギリシアイメージからの脱皮の必要性・・・小生の持論と一致するところが多かったのですが、それを可能にする島民の意志の在り方・・・そして、経済的自立と発展への行政および島民有志の意志力・・・ それが総ての解決策へのゲートウエイ。

それなくしては、島の再生は、自己陶酔のオンリーワン幻想に翻弄されるのみ。 どこまでの再生と発展を希求するかは、磨かれきれずに惰眠する島の自然の魅力と、伝統文化と・・・島のこころをいかに融合させるか・・・その策なくしては、個々の活動の範疇でのマスターベーションに近い・・・・そんな気がいたします。 

Chiiさんは、その後、どのような再生への道へ近づけましたか? いつか、あなたの、聡明な展望を聴かせていただけることを楽しみにしております。

10月に、ヨロンへ? もしかしたら、時期未定ですが、小生もその可能性がありますが・・・ バリ島でのプロジェクトの関係で暫くバリへ缶詰になるかもしれません。

Where there is a will, there is a way......
ヨロンの心づくしの、珠玉のような多くの言葉の中にも、そのような言葉や表現があるのだろうか?

Chiiさんにとって、新たなヨロンとの出会いや導きが有りますように・・・

ロイ

(終わり)
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★ヨロン島再生交信録 (1) [ヨロン島]

ヨロン島関連ホームページをサーフィンして、ふと、あるブログに目が留まった。 「ヨロン島リバイバル計画」~自然再生と観光を共生するヨロン島の取組みと題するブログである。何とまた、刺激的で大胆なプロジェクトタイトルでブログを立ち上げたもんだ!

早速、運営管理者のChiiさんへメールを送り、いくつか質問をしてみた・・・以下は、その最初の頃、そして、最後の辺りまでを筆者からの送信記録に限定し、掲出している。 

ヨロン島を愛するが故に、情熱とあこがれの滾りに翻弄され、現在は、残念ながら時の流れに身を任せ、再度チャレンジできる時と機会を待っている・・・ Chiiさん頑張れ!

=============================

2005年7月7日 7:41
ロイさん。

ご連絡遅くなりすみませんでした。

先週末から我が家では、ちょっとした風邪が流行っていまして、なかなかPCに向き合う時間が取れず、失礼致しました。(昨日あたりから、回復したようなのでもう大丈夫です)

明日は恵比寿東口に15:00に伺いますので、よろしくお願いします。 以下、どちらか教えてください。
★2階改札口(ガーデンプレイス通路に繋がる2階のほう)
★1階改札口(モンベルが斜め前にある地上改札口のほう)

着きましたら、携帯でご連絡させていただきます。

===<以下は全てChiiさんへのメール>===========
(1) 2005年6月28日 10:29 (最初の頃のメール)  Chiiさん

お早うございます。

風邪一過、大変でしたね。 今しばらく、ご自愛を!

Chiiさんからのメールを開封する前に電話をしてしまったようです。
Sorry for this up-side-down order contact......!

以下、確認まで。

7月8日(金)午後2時、JR山の手線の2F東口改札口、ガーデンプレイスへの出口です。では、明日・・・

ロイ
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(2) Chiiさん

こんにちは。

静岡は台風の直撃コースのようですが! 大丈夫でありますよう。

返事が遅れした。 Sorry for this.

ご多忙なスケジュールの中、時間を割いて頂いて有り難うございます。 ご提示の8/2(火)11:00~13:00で、軽いライチョンを挟んでいかがですか? また、恵比寿でお会いしましょう。 Chiiさんの所から近い方が良いでしょうから。 

ココサロンの近くにアジアンテイストの人気レストランがありますから、そちらでいかが? 11時30分にJR東口2F改札出口で待ち合わせ。

では、また・・・

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(3) Chii さん

こんにちは。 メール有り難うございました。

Chiiさんの忌憚のない意見や提言等、ヨロン通信を楽しませて頂いております。今後もそのスタイルで発信を希望致します。 また、諸事、あなたの計画や予定等が整いましたら、ネット販売の件も含めてお聞かせ下さいね。 

リンクの件、ご了解をいただき有り難うございました。

取り急ぎ、ご連絡まで。

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(4) Dear Chii-san,

今、新宿から帰りました。 夜、遅いメールは気にするようですか?

中には10時以降のメールを嫌う方もおりますので、最初にご確認まで。 ちなみに、小生は24時間?稼働(30国余のホテルや学校との交信がの要があるためですが・・・・当方の「民間大使交流会」 http://www.minkantaishi.org/  関連の交信)みたいなもので、いつでも当方への送信は結構です。

さて、Chiiさんと、東京で会うことが楽しみになってきました。?で・・・30数年ほど前の自分にオーバーラップするようなChiiさんの姿が懐かしい・・・プリシア http://www.pricia.co.jp/ の前身のホテル一つと灯台のみの景色と全面に広がる東シナ海・・・そして水平線上に横たわる伊江島のシルエットを心地よい潮騒をBGMにヨロンのプロモーションの構想を巡らし、胸躍らせていた頃を想いだしたこと・・・

そうこうしているうちに(運命的なものを感じますが)ミサワホーム社長との出会いからプリシアリゾート構想+小生のそれまでにバリ島リゾート開発他で培ったリゾート開発プロジェクトで走り回ったこと・・・用地等買収や地元対策で翻弄されたこと・・・

意気軒昂なヨロン青年との観光開発推進の是非で大論議したこと・・・その後のヨロン島リゾートホテルの代名詞的になるまでのプリシアの旅行社各社への推進に駆け回ったことetc.....

ただ、Chiiさんのように、ヨロン島の島民や地域社会の側の見地からの島の心や文化、社会の経済、自然環境の保全や推進等への視点の移行と実践までには至りませんでした。むしろ、私の関心は既に海外にありましたので、プリシア稼働後にはほとんどヨロンとの関係は加速度的に薄れていった事実があります。・・・・

そのように、薄らいだ幻影を再び脳裏に喚起させてくれたのは、悠遊クラブの構想に着手した5~6年程、前のこと、そして、より強い思いを巡らすようになったのは、つい
昨年末にヨロンに傾倒している方にであってから・・・でしょうか? そして、より、強く精力的な取り組みをされてきているChiiさんのことをごく最近知ることができ、本当に奇縁を感じます。 

不思議ですね・・・ たぶん、以前にもChiiさんの「与論島通信」は読んでいたと思いますが、なぜか以前の事はまったく記憶に残っていません。しかるべきと・き・に意識が向いたのでしょうか・・・ これぞ「尊尊我無」のスピリッチュアルな、何かが作用したのでしょうか?・・・ 回答は留保しておきましょう。

以前、ケントデリカット(TVタレント)氏と英会話学校を共同経営(ケント国際学院)していたときに、大崎(ソニーの脇)に事務所を構えておりました。Chiiさんも近辺にはなじみがあるのかな?(上大崎が住所ですよね) もっともスクールは渋谷駅前の東急文化会館横でしたが・・・

8日(金)曜日は、午後3時にJRやまのて先の恵比寿駅・東口の改札を出た所で待ち会わせ致しましょう。 なぜ、恵比寿? 与論に関心のある企業が経営する事業の1部門(ヒーリングサロン他健康食品取り扱い)でココサロン恵比寿(インターネットでもすぐ検索できます)をご紹介ながら、まず、Meといろいろとお話を致しましょう。 

当方の会長が、当日は午前中でないと無理なスケジュール、それに、事前にMeの方でChiiさんとお話をしてからの方がよりよい展開ができると思うからです。

気楽に、いろいろな事をざっくばらんにお話ができればと考えております。
So, just take it easy on meeting, ok? 英語は?

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(5) Dear Chii-san,

先日は、わざわざお忙しい(子育てetcccc)のに遠方から時間を割いて頂いてお会いいただき有り難うございました・・・

demo,たまには用事に託けて東京の里帰りも良いかもしれませんね。あなた自身のしばしのときも必要ですね、きっと。

短時間にいろいろなお話をさせていただき、多少、混乱気味だったかも知れませんね。気軽にお会いして、お話できる環境ではありませんので、その点をご斟酌をいただければ幸いです。

実際、Chiiさんにお会いして、第一印象は、あなたなら、将来いろんな形で、ヨロンの中に新たな息吹を与えてくれることができそうだな、そして地域の方々に融合し共生ができる方、そんな思いです。 いまは、少し時を待たなくてはいけないと思いますが、ゆっくり急がず、焦らずに、Chiiさんならではの創意と情熱でもって取り組んでみてはいかがでしょうか。陰ながら、可能な分野や資力で応援致します。 

お会いしたときにお渡しいたしましたDVDについて、その意図なりを若干、誤解・ご不審の無いように補足説明しておきますね。

1)グリーンツーリズム(英国)
基本的には、その地域に在る、伝統や工芸、そして、地域のホスピタリティマインドを組織的、系統的にプログラムし、推進して行く事により、より深くその地域を理解し、愛されていくような地域住民と行政の一体化した観光産業の創生へのヒントとなると考えています。

洋の東西を問わず、田舎の景観やその地域の人々は、心優しく、基本的にはホスピタリティマインドに溢れていると思います。なかんずく、Chiiさんが感じられているヨロンの地域の方々がより一層、そうであるならば、それがより多くの来島者へ訴えるようなPRや地域行政あげての具体的な取り組みを推進すること。すなわち、観光関連事業に従事する方々のより、刷新された取り組みが必要ではないでしょうか? 単に心やさしいだけではなくそれが、より具体的に来島者に見え、感じられ、感動体験となるような
プレゼンテーションやプログラミングが必要ではないかと考えます。

地元料理を民宿や公民館で、観光客を中心に(地元の方々にも開放)デモンストレーションしたり、伝統芸能を単に年1回?披露するのではなく、1週間に2~3回、それぞれの部落の集会所やホテル等で公演したり、かりゆしが独占的?に演奏しているような、伝統音楽を地域の方々が島の至る所にある公共の場所で演奏活動をし、そこに観光客や
地域の方々が集い、感動の時を数多く共有できる場を設けたりです。

また、ヨロンがいかに狭いからといって、始めての来島者にはヨロンの良さを堪能できるほどの地理的、スポット的な知識があるとも思えません。ボランティアのガイド(中学生や高校生、時間的に余裕のある老若男女)やプロガイド(可能であれば)をある程度プログラミングされた研修の元に育成し、実践活動の場を提供していくこと、その事も大きくヨロンの正しい理解や、リピーターにつながるような大きな要因となって作用していくものと推察されます。本当にヨロンの良さが伝わるようなシステムの構築と実践・・・いろいろな事ができそうです。

そのような事がヨロンをより大きな世界へと繋いでいける、感動の架け橋になるのでは無いでしょうか? 小さな島であればあるほど、島民の結びつきは深く、強く、そして、それだけ、はたから見れば人々の温かい交流と絆を感じることができるのでしょう。その事をガイド一人のサポートが、より多くの観光客へ深い感銘と体験、知識を与えてくれるものと推察します。 このガイドシステムは日本の南国島を代表するヨロン島
がオンリーワンを喧伝する上で、不可欠な要素、もうひとつ大きくその名前をより多くの方にアピールするメッセンジャーともなるのではないでしょうか。

2)ハワイ・ポリネシアン文化センター: http://www.polynesia.com/
とにかく1日中居ても楽しく、感動的で時間を忘れてしまう楽園・・・それがポリネシアン文化センターです。 この園は、ハワイ諸島を含め、小島で成り立つポリネシアの民家、芸能、人々、音楽、ワークショップが中心となり、また、昼と夜に大きなショー(伝統的な音楽、歌、踊り)が展開されるプログラムです。 

小さな子供からお年寄りまで感動の連続です。なんと、ここを運営しているのは、殆ど、モルモン財団が運営する近くの大学の学生達で実施されています。  ショーステージを除き、建設費も大してかけていません。 

不要と思われるようなヨットハーバーや大幅は海浜改造工事(100億円前後・・・と聞いています!)に費やすお金があれば、将来に大きく貢献でき、かつ、その数十分の一くらいで実現できるような、上記のような観光エンタテイメント楽園を創設し、地元の老若男女や島外で帰郷できずに(ヨロンでの就職難)いる、数多くの与論帰郷願望者達の活路とPRの場を創生すべきではないでしょうか?

実は、このポリネシアン文化センターと小生は関わりがあります。このショーダンスをすべて取り仕切っている日系ハワイアンは小生の知人。このPCC(ポリネシアン文化センター)のノウハウはすべて小生にあります。すぐにでも与論でも行政にその気があれば数億円単位で開園が可能と推察します。(もっとも与論町の地所を活用できることが
前提ですが) 

どうでうすか?Chiiさんひとつ考えてみてください。あなたの意見でまずは、プレゼン資料を作成し、町行政に提案し貴女が推進役、小生他が支援致します。 そのような将来企画のための参考資料として作成してあります。

3)もうひとつは、与論島の特産品のPRとChiiさんのとりあえずの活動資金に寄与できるかもしれない商品販売(ネットベース他)への取り組みのサイド支援(先日、ご一緒しましたココサロン=株和光)をしたいと考えております。 http://www.wako100.com/  あくまでも、貴女のビジネスとしての支援です。 和光へ貴女が販売可能な商品取り扱いを交渉します。

それには、Chiiさんと現地の製造元との事前の話し合いが必要です。・価格・納期・ロット他  お忙しいとは思いますが、そのような基礎情報だけでも早い時期にとりまとめておいてはいかがでしょうか?

貴女が「和光」に対しては総販売窓口となれば良いでしょう。和光だけでもかなりの会員になりますから、ちゃんとした商品の取り扱いやサプライができれば、悪くはないと思いますし、より多くの方に与論&その特産品への関心度を高めていける良い機会と考えます。

特に、最近テレビでの紹介がありました、黄金酢 http://ogo.269g.net/article/456662.html や、もずくそば、ジネン等は取り組み安い(和光にとって)商材といえます。 是非、トライし、ある程度の条件が整えば、再度、東京にて担当者(吉川室長)を通じて
成約の方向へ進むようプッシュします。  

また、ココサロンは将来当方のプロジェクトが現実的になった段階で、与論進出も念頭に置いています。アロマ、タラッソテラピー他、与論スタイルの美容療法も人気がでるかもしれません。そのような道に新たなPRの方向性をこれから模索を始めることも・・・まずは、一人でも多くの地元民に関心を喚起!

最後、長くなりましたが、当方のプロジェクトもHPGでもリニユアルアナウンスしてありますが、2~3年後を目処にできるだけ多くの方が共生できるような集いと生活の場を念頭に具体的に検討を内部で開始致します。

そのプロジェクトの一員と、たとえば、居住棟やショップ(他)スペース等のプロモーションエージェント(推進員)として、是非、Chiiさんにもご協力をいただき、一緒に、楽しく意義のあるコミュニティスペースの創生に参加をお願いできませんか? 十分なスペースを貴女にも確保し、様々な情報発信や交流の場にできればと考えております。

以上、非常に長くなりましたが、文字の方が意図を伝えやすい事もあり送信します。 今後は、テーマごとに、一緒に考えていけるようにしたいと思います。

小生は、現在、都内3カ所で年内に大型開発を着手すべくその諸準備で、てんてこ舞い!状態ですが、努めて上記の件ではChiiさんと一緒に実現へむけて楽しんで参加できればと考えております。

その他、お気軽に交信下さい。 では・・・・

(続)

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★Hi! QP....(やあ、坊や!)♪ [ヨロン島]

"Hi, QP!"............ どぎまぎしながら、のろのろと思案気に歩いていた小さな男の子に、反対方向から歩いてきたアメリカの水兵さんが、にこやかに話しかけてきた。

                       

びっくりするくらい背の高い、カーキ色のアーミー服の栗毛の米兵と、その首辺りの高さのセーラー服姿の水兵さんの二人が、進行方向から小学校2年生の坊やに迫っていた・・・雨後の道路の窪みに出来た、大小のプールを避けながら、お互いに、一本しかない細い道筋でかち合ってしまった。

「まずい、どうしよう・・・?」と思案する男の子に、道を譲ってくれながら、大きな笑顔でどうぞ・・・って米兵達が、親切にも男の子を先に通してくれた。 QP・・・?キューピー・・・思えば、筆者が、始めて耳にし、鮮明に覚えている言葉、英単語はこの言葉である。 二人のアメリカ人は、何やら大きな声で談笑しながら、茶花の町中へと伸びる、できたてにも関わらずでこぼこだらけの道を、ゆっくりと去って行った。

このQPの意味するものが何であるか・・・そのときは、知る術もなかった。 ただ、鮮明に強烈に記憶の隅に刻み込まれた。 この言葉が何であるのかは、大分年数を待たねばならなかった。Cupidの意味で、まあ、そもそもの語源はさておき、小さくてかわいい坊やくらいの軽い意味で使われている。 遙か後になって、東京で始めて「QP」食品のトレードマークにご対面し、「はは~ん!なるほど」と頷き納得することになる。

ん・・・アメリカ人の大男達からみれば、まさに、小さな坊やで、彷徨きながら顔を赤らめてはにかんでいる男の子が、そのように映ったことであろうな・・・回想しながら、ほくそ笑んでいる。

ともかくも、この言葉の強烈なインパクトと二人の異人との、一瞬の出会いと交錯が筆者の異国への強いあこがれに近い感情の渦を巻き起こしたように思う。 その後、父から戴いた海外ジャーナルに、たまたま南米移住の日本人の生活やペルーのチチカカ湖、そして、アンデスのインディオの生活の様子を伝えるカラー写真が多く掲載されており、毎日のようにそれらを、飽きることもなく、眺めながら、遠い地を夢想していた記憶は、いまだ消えずに脳裏にとどまっている。

そのとき、子供ながらに強く決心をした事がある。 絶対にチチカカ湖に行き、トトラの葦船にのり、インディオと一緒に漁をすること。 そして、リャマの乳絞りとチーズを作って、腹一杯に食べること!卑しいこともあるが、本物の牛乳から作られたチーズ等見たことも、臭いを嗅いだことも、また、食べた事もなかった。 ただ、雑誌広告では見たことが有った。 いかにもお餅・・・なんで、こんなものが、乳から作れるのだろうか? 大いなる疑問に悩んだ記憶がある。

ただ、漠然とシェーブルチーズ(山羊のチーズ)と同じようなものだろう、と決めつけていたが、山羊のチーズなんて食べた事も無かった。 また、そのミルクだって、ほんの数回ほど飲んだ事を覚えているにすぎなかった。 それでも、まだ、牛乳よりも山羊のミルクの方が身近であったし、リャマは見るからに、山羊に似ていることから、そんな風に考えたのかもしれない。 

・・・・まあ、いずれにせよ、子供の心とはそんなもの・・・いまでは、懐かしい夢想の世界が広がっていたことを覚えている。 しかし、まだ、南米の地には残念ながら、足を踏み入れた事が無い・・・

思えば、その当時は、盛んに巡回映画が無料で上映されていた。 そして、ブラジル、ペルーやチリなど、南米各地に移住した日本人の生活ぶりを盛んに紹介していた。 車に満載された、果物や野菜、そして、その時にはアロマさえも分からなかった赤や紫色等、様々な天然色に熟したコーヒーの収穫の様子など、異国への強い移住願望を促すものであった。 筆者の心の奥深くに、ますます、南米への憧れと、はやる心の熱い思いが刻み込まれていった。

・・・しかし、ときは流れ、次第に筆者の心は中南米社会から西欧社会のそれへと移って行った。 大きなきっかけは、フランダースの犬の物語・・・オランダに於ける伝承的なお話にひどく、感銘を受け、その背景となる、国や人々への関心が急速に膨張していったことによる。 ・・・そして、決定的な関心の転換は、英国を代表する風景画家「ターナー」の作品との出会いであった。 

・・・筆者も、小学生の頃、風景画には、そこそこの才能と天分を評されたことがあった。 鹿児島県の絵画コンクールにも数回ほど、入賞した経験を持つ。 そのような、事もあり、また、英語という異国言語への精通度も高まって来たおり、さらに、より多くの英国文学との出会いが英国へ強い傾倒を決定的なものにした。

シェリーの「秋風の詩」や、テニソン、ワーズワースに代表される桂冠詩人(湖畔詩人とも呼ばれる)の描き出す英国の田園風景にひたすら想いを馳せ浸っていた時期があった。国中の丘陵を縦横に走る運河(キャナルネットワーク)や、その絵画的風景を背景にした古城や瀟洒な藁葺きの田舎パブなど、まさに、異国情緒豊かな風景や文化に恋いこがれていった時期でもあった。 とりわけ、中世の演劇や文学には綺羅星的な作品が多く、それらの息づいている街への憧憬が日に日に強くなって行ったことを鮮明に覚えている。

 

ずっと、後の頃の話となったが、皇太子時代の天皇家の裕仁親王も、モードリンカレッジで、中世の運河とその役割を研究のテーマとされた。 一体、皇太子様はその研究の成果がどのようなものであったか、一度は拝見してみたいものであるが・・・ 聴くところによると、日本の江戸時代の頃の通船堰の役割との比較を含めた、流通網の整備の重要性について、数多くの興味ある論文となったらしい。 

イギリスには、いまなお、数多くの水路網が残り、現在では産業用というより、レジャーへの寄与度の方がはるかに高くなっている。 即ち、運河旅行を楽しむイギリスの方が多く、格好なスローライフ&レジャーの場所を提供している。 キャナルボート・・・イギリスの典型的な風物詩ともなっている。

・・・ <閑話休題> ・・・・・・・・・・・・・・・・

大阪系の某大手英会話スクールでの経営、教職を経て、念願の英国大学への留学を実現してからは、諸外国との様々な交流活動へと一気に流れていき、今に至る。 英国での生活は、ともかくも、進むべき人生の羅針盤を英国流に固着させてしまった。 いまだに、その方向を変えることが出来ない自分に気づく。 

それだけに、筆者にとっては、意義の深い様々な事を学んだ数年であった。 人間が人間らしく生きるとは何か・・・様々な評が飛び交う英国人気質や文化性など、何層にも織りなす英国社会の奥深くに浸透し、その襞に到達するには、余程の覚悟と年月を要することも分かった。 貴族の行方・・・この持つ意味を理解する事無しには、とうてい、英国社会の真の社会やこころは理解し得ないであろう。 日本には、まず、存在皆無であるから、なお、難しい。 

英国文化振興会(通称ブリカン)の給費留学生として、その当時は、まだ、英国大学への留学が非常に難しいとされていた頃であるが、幸運にも、約2年半の学窓を経験する事が叶った。オックスフォード大学のワドムカレッジ(Whadom College)を学究活動の本拠とし、リーズ大学及びブリストル大学、そして、ロンドンのIHロンドン国際英語教師訓練所での研究活動の機会が得られたことは、今ではもう夢の時代に近い。 ちなみに、IHは世界30数カ国にネットワークを持つ国際的な英語学校で、その教員訓練所には、世界の英語教師が馳せ参じる。 日本の6大都市にも、その学校網が拡がる。

        

              (ウオドムカレッジキャンパス正面前にて)

学究活動のテーマは中世英語(シェークスピア時代)の英語の近世への変遷史・・・平たく言えば、昔の英語が今風に変化していった英語の変化する歴史に関する研究である。 詳細は省くとして、いまや、英語は米語と様々な点で遠く乖離し遊離し、更にその2言語の隔たりは手の届かないほど違う言語となってしまった現実がある。 合理的な言語である米語と理念的な趣を内包する英語は、その2国の国民性の典型的な差異を、如実に現わしているといっても良いだろう。

・・・ひとえに、英国留学の夢の実現に多大な支援を戴いた方は、東京都内にあるS大学の米国人講師で、長年の滞日経験を有するマイク教授の、強力な推薦文も大きな要素となっているものと推察する。 教授はアフリカ系米国人であるが、アメリカ南部の魂の塊のような、心優しく、正義感にらんらんと燃えて教育に情熱を注いでいた。 マイク氏は、また、バプチスト教会の伝道師でもあった。 

正式な名前をマイク・フーザー(和名、真育風座)と言う。 著書も多数あり、その教育姿勢には、異論を唱える人もいたが、師の内面へのいざないを深くすればするほど、その和名(真育)の意味が、より現実感を帯びて迫ってきたことを覚えている。 感謝の限りである。 米国南部アトランタに熱い風が吹き渡り、タラの地が焦土となった。

・・・その熱い思いが南部黒人の間には、脈々と流れているのかもしれない。 マイク氏のその思いを強く感じることが多かった。 ヨロンに縁を持つ故森瑶子女史にも、その強い想いが、共存していたのかも知れない。泉下に旅立つ間近な時期に「風と共に去りぬ」の和訳を完遂したことの因縁。そして女史がこよなく愛し終の住処とした与論島・古里の地・・・

ヨロンと米国南部とを繋ぐ何らかの絆が、筆者との因縁を感じさせる。 いまは、そのマイク氏も故郷の地、米国・ミズーリ州の片田舎で、静かにこの世の平和を願い続けていると聞く。故森瑤子女史の生前に、筆者と女史のご主人、ブラッキン氏とはプリシアリゾートを介しての繋がりを強く持つ・・・見えざる神の手による縁結びを実感することが多い。これを奇縁と呼ぶのであろうか。

留学時代に、個人指導教官との歓談のおりにヨロン島について話をすることがあった。 英国は、北緯40度以北、日本で言えば、青森県と同緯度から北に在る国。 その国や住人にとっては、珊瑚礁に囲まれた南国のパールアイランドなどは夢のような環境に等しい存在である。 その魅惑の島「ヨロン島」の話の間、教官の目が、食い入るようにキラキラと輝いていた。 

彼の名前はスチュワート・アトキンス。 そして、イチョーキ長浜と、「ある男の子供のエピソード」を語って聞かせたところ、WHAT A LEGEANDARY SOTRY! (なんと、おとぎ話みないな!) と驚嘆、奇声をあげたことを、いまでも明瞭に覚えている。 

無垢の砂浜と珊瑚の群生を撮し取った数枚の絵はがき・・・まさに、彼にとってはトレジャーアイランド(南国の宝の島)に写った。 

それから、数年後、その教官スチュワートは、JET PROGRAMのAT(英語補助教員)として来日し、四国の高校で3年を人気を満了し、その後、劇団「ZA GAIZIN(外人座)」(日本の様々な文化の局面をとりあげ、演劇風に風刺した演劇を主催しNHK等でも良く紹介された・・・)を数名で旗揚げし、一躍、一世を風靡することになりなった。 同時に、日本の古い伝統文化、伝承物語等の海外普及にも精力的に貢献していった。 

最初にレコーディングされたカセットテープは、筆者に記念の品として贈られ、いまでも、カセットラックにコレクションされている。 ヨロン島を仲立ちとして、彼の来日があり、そして、日本の海外への新たな窓を大きく開放してくれた。

-----<閑話休題>------------------------------------------
余談ながら、筆者の英名はスチュワート先生の従姉妹嬢によるもの。 アフタヌーンティに呼ばれて先生宅へお伺いしたおりに、私の和名 "NAOHIRO" がとても覚えづらい!との話から、いろいろと候補を出してみた。 渡英前の日本の学校では"HIRO(HERO)"のニックネームで呼ばれていた。 しかし、このNNにはいささか違和感と抵抗があった。

理由はHIRO(ヒロ)があまりにも安直(ナオヒロのヒロ)でしかもハワイでは余りにも陳腐すぎて好きに慣れなかったこと。また、真珠湾攻撃の対象地となった地域の個人名や地名にもこの名前が多く、反日感情を喚起するイメージが強かったこと。
 
また、時の昭和天皇の名前が「裕仁」で、この名前も英米人にはHIRO(HITO)として連想する人が多かったことで筆者自身にも、ある種の嫌悪感(裕仁天皇を戦犯と考えるひとも多い)があったこと。 さらに、HIROは概して”HERO”と同音で発音され、何度も呼ばれると、大いに違和感を感じすんなりと受け入れられなかったこと。

以上のような諸々の事由により、HIROに替わる適当な英名を3人で談笑しながら、午後のゆるりとした西陽の中で模索していた事を、つい、昨日の事のように想い出す。思案の果て、いくつかの名前の候補が挙がっては消えていった。

午後のお茶タイムも終わりになりかかった頃、「そうだわ、ポピュラーな英名で馴染みのある”ROY(ロイ)”はどうかしら?”HIRO”を逆読み(RO+HI)すれば"ROY(ロイ)"になるじゃない?!」とキャサリン嬢が提案! 瞬時、納得了解&認証となった経緯がある。
 
それ以来、海外ではロイが本名以上に一般化して馴染んで、今日に至っている。 そして本来の名前"NAOHIRO"はミドルネームとして"N"に変容してしまった! キャシーの母上はフランス・ノルマンディにルーツを持つ経験なカトリック教徒でもあった。

THANKS FOR CATHY! キャサリン嬢はその後、オックスフォードの女子カレッジで中世英文学のフェロー(講師)になったと聞いたが・・・ その後は、ご無沙汰の限りで分からない。
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そして、その好奇心旺盛な英国人スチュウアート(彼は、奇しくも、筆者が通っていたすぐ隣のコーパス・クリスティカレッジを母校とする)を、筆者がヨロンへ招き、楽しく想いで深い数日を共に過ごしたこと、そして、ヨロンを旅行中の東京のOL三人組を仲間に引き入れ、更にヨロンとの親交を深めて行ったこと。 そして、途中から、たまたま単身旅行中ヤンキー青年、マイケル君も加わり、想いもよらないほどヨロンと自然や島民との絆を深めることになった。

3908542.jpg(手前:アトキンス 後方右手:マイケル 後方左手:筆者 中央:3+1人組の旅行者)

彼らの帰京の別れの船出は、想いでのハイライトとなった。 当時は豪華客船と目されていた「曙丸」の弦を埋め尽くすほどのカラーテープの束の中で、岸壁で見送る人、船上のデッキで泣き崩れる彼ら、そして・・・いつまでも尾を引き舞い上がる別れのテープを乱舞させながら去って行ったこと・・・。 昨日の出来事のように脳裏に鮮やかに蘇る。 そんな情緒豊かな別離の記憶を、江が島の桟橋を見るたびに想い出す。 3908545.jpg

いろいろな事が走馬燈のように回転していく。 ・・・彼、アトキンス君・・・ いまは東京6大学の一つ、M大学の文学部(英語)の教授となり、すっかり日本人になってしまった。 また、彼が、ヨロンに戻るときも近いだろう。 アトキンの故郷のバーミンガムよりは、遙かに身近な存在になったヨロン・・・ して、彼の思いはどこに?

思えば、ヨロンはその昔からインターナショナルな素地があったのかも知れない・・・ その名残が、更に裾広がり、拡大して行く事を祈念する。 その芽が様々な視点で、静香に開花しつつ有ることは嬉しいかぎりである。 

所詮、異文化理解の難しさは、この国に関わらず、万国に共通して言えることであろう。 逆も可である。 ソマリア人やイエメン人(単なる例です)が、日本の過度な程に洗練された繊細な食文化を理解することは、不可能の世界に近いと思えることと同様であろう。

異文化論は、さておき、筆者の異文化への憧憬と融合願望の起点であり、筆者に大きな世界への曙とその強い思いを授けてくれたのは、名も知らない二人の米兵であったことは間違いない。

当時、沖縄に駐留する米兵のレクレーションの一環として、舟艇で米兵がヨロン島へ大挙して来襲した事は、珍しくもない事実であった。 その来訪者の二人・・・たまたま、その二人が茶花の町中への用件、好奇心(?)のいずれかは別にして、足を向け、水たまりの間を縫う細い通路が筆者の後生に大きく作用した事は間違いない、と確信している。

レクレーションで来島した米兵達が、旧江が島桟橋で、パンの缶詰(ご存知無い方も多いのでは?)で陽気にボーリングに興じていた記憶も、映像の一コマのごとくスローモーションで再現されてくる。

圧巻は、近所の友人をさそって、彼らの浜辺でのピクニックにも、勇敢にも物乞い(!?)に出かけ、首尾良く、サンドイッチとキャラメル(と記憶しているが・・・)をポケットいっぱいに押し込み、お礼もそこそこに、一目散に立ち去った記憶も鮮明である。 突然の訪問を受けた米兵やその家族達も、さぞかし、びっくりし、好奇心旺盛に応対したのではないだろうか? ・・・せめて、Thank you very much!位は言える知識があれば、さらに、友好の場が広がったのに・・・とずっと後になって後悔しきり。

そのことがあり、立長という地区に棲む、小学生の同級生、初子さん父親が英語が堪能と聞き、非常に尊敬と憧れの思いを抱いていたことがある。 彼女の父親は、沖縄の米軍基地に勤務したことがある・・・とのおぼろげな情報があった。 一度、お会いする機会があれば、是非、そのエピソードなりをお伺いしたいと思う。 米兵同様、唯一、海外への憧憬を深くするきっかけとなった唯一のヨロンの方であるから。

彼らの上陸地点及びピクニックサイトは大抵決まっていた。 現在のプリシアリゾートと江が島桟橋の中間地点にある、小さな湾であった。 多いときには、上陸用舟艇が3隻も停泊していたことを覚えている。 ・・・幼心にアメリカの凄さを実感した瞬間でもあった。

いまは、ヨロン島を代表するリゾートホテル「プリシア」のクルーズボートのベースポート。 依然として静かな美しいたたずまいを映して、この小さな湾が、新たな想い出を創り出すゲートウエイとして機能し愛されている事は嬉しいことである。

・・・それから、遙か時が経ち・・・いまなお、沖縄は様々な米国およびその駐留兵との狭間でもがき苦しんでいる事実が、脈々と続いている。

筆者の、あの異文化への大きな道を開いてくれた良き日の想いは・・・また、再現される日がくるのであろうか。 

・・・また、新たな「QP」の夢を実現して欲しい、と願うばかりである。

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清い心で 真っ白な線を まっすぐに
引いてみようか・・・・・
新たな明日へ向けて

そんな気持ちで ユンヌと歩んでみよう
愛しの君も きっと すでに新たな
歩みを 始めていると

・・・信じているから

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